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山とかトレランとか

薬師立山縦走

お盆恒例の長期縦走、南アルプスを計画していたが台風が近づいており直撃の予報だったので急遽変更、行ったことがない&台風の影響が少なそうな北アルプスの薬師に行くことにした。ついでではないが登山道もあるみたいなので、立山を繋げて二泊三日テント泊でプランが固まった。

YAMAP https://yamap.com/activities/26112424

1日目

東京→富山→有峰口→折立→太郎平キャンプ場

直前に計画を変更したので予約はギリギリ、というか始発の北陸新幹線かがやきは全席指定席が完売していたのでこのままでは乗れない。立席指定券という指定席が売り切れのときにのみ発売される券を買うかという話になったが、移動前日にえきねっとをしつこくチェックすると空きがぽつぽつあり、首尾よくパーティ3人分の指定席をゲットできた。電鉄富山から有峰口は予約なし、有峰口から折立のバスはギリギリで予約成功。発車おーらいねっとのバス一覧の画面だと残り2人の表示で万事休すと思われたが、予約の画面では残り4人になっていて実際に3人の予約が取れた。何事も最後まで諦めない気持ちが大事。

折立からの道は、距離の割に標高差が少なくなだらかな道。展望も良いのだが、その分日差しが厳しく、暑さでバテてしまった。初日は標高が2500m以下でやや低めとはいえ、北アルプスでここまで暑いともはや8月はどこに行けばいいというのだろうか?

暑さの中辿り着いた太郎平キャンプ場は足の踏み場もないほどの混みようで、テント場のほとんど端っこの斜面にテントを張ることに。晩御飯のカレーを食べると夕焼け、テント場は鞍部なので道を少し戻りなだらかなピークの上から日本海に沈む太陽と赤く染まった北アルプスを見る。神秘的な瞬間。

斜めに傾いたテントの中で何度もずれ落ちて目が覚めて、その都度シュラフを引きずって戻し寝る。全然寝れないわけではないが、つらい。フリースとシュラフをかぶってちょうどいいくらいの寒さだった。

2日目

太郎平キャンプ場→薬師岳→間山→スゴ乗越小屋→スゴの頭→越中沢岳→鳶山→五色ヶ原


裏銀座を縦走したときに見て感動してから来たいと思っていた薬師のカールは、間近で見ると意外と特に何も思わなかった。近すぎると見えないものもある。それよりも、真夏の早朝の日差しに照らされて影しか見えない後立山の峰々が目に焼きついた。

薬師は長大な山で北薬師を越えると長い長い下りが待っている。初めは楽しく歩いていて、理想の稜線歩きだなどと言っていたが、間山に差し掛かるあたりで快晴の天気が仇となり暑さにやられ始め、スゴ乗越手前の急な下りでは標高が低いこともあいまっていよいよパーティの沈黙は重苦しいものとなっていた。ここでスゴ乗越小屋がなければ大喧嘩を始めていたかもしれない。ようよう小屋につき、コーラを飲んだり白玉を食べたりして息を吹き返す。

ただ、ここからが2日目の核心で、スゴの頭、越中沢岳、鳶山の3つのピークを越えるアップダウンの激しい道を過ぎてようやく五色ヶ原に着くことができる。暑さのこともあり憂鬱な気持ちで目前のスゴの頭を眺めていると、みるみるうちにガスが登ってきて見えなくなってしまった。ガスに覆われた登山道は涼しくて快適だった。いつもとは違ってガスに感謝しながら3つのピークをなんとか登り切ることができた。

結局、心配していた雨も降らなかったし、五色ヶ原のキャンプ場は広くて人も疎らで、今度は水平な地面にテントを張ることができた。ここではラーメンを食べて早々に寝た。食後に飲んだミルクティーが沁みた。

3日目

五色ヶ原キャンプ場→ザラ峠→獅子岳龍王岳→浄土山→一の越山荘→雄山→大汝山→雄山→一の越山荘→みくりが池温泉→室堂→美女平→立山駅→電鉄富山→東京

翌朝4時に出立。当初の予定では立山を越えて大走りから下山するつもりたったが、コースが思ったよりハードで暑さのためメンバーの疲労が強く立山は雄山に行ける人だけピストンで行くことになった。

ザラ峠周辺について、後から調べたことだが面白い事実がいくつかあった。まず、五色ヶ原、ザラ峠、獅子岳の道は、立山カルデラの山側の端をなしており、また砂防工事のためカルデラの中は立ち入り禁止になっているとのことだった。ザラ峠からみると鳶山の北面が大きく崩壊しているが、これは安政年間に発生した大地震により山体崩壊したもの。という地学的な内容と、明治のはじめ頃ザラ峠と針ノ木峠などを通って富山から長野まで有料道路を作る計画があり、富山側は立山新道という名前があったが、当然ながら相当な無理があり、そうそうに計画倒れに終わってしまった、など。調べても結局どこまで工事が進んでいたのか判然としないが、https://www.jstage.jst.go.jp/article/oam/4/0/4_43/_pdf によると利用者通行券は残されており、利用の実態はあったらしい。そういえば大町山岳博物館で見たことを思い出した(この研究も大町山岳博物館によるもの)。他にも戦国武将の佐々成政が厳冬期にザラ峠を通って北アルプスを越えた(さらさら越え)など、歴史的な逸話も出てきた。こういうのは行く前に調べるのが良いのかもしれないが、だいたいいつも山行中に気になったことを覚えておいて後から調べることが多い。

龍王岳と浄土山はコースから外れるがピークなので一応行った。一の越山荘から雄山はザックをデポしてなるべく急いだが、人が多くて思うように進めなかった。大汝山につく頃には東側の山はほとんど雲に隠れてしまい、もっぱら室堂の方を眺めていた。雄山のピークは参拝料を払わないと入れないというのが、衝撃だった。大汝山まで行ったのはパーティで自分だけで他のメンバーはすでに下山していたので、室堂まで急ぐ。テント泊装備をかついで走った。

みくりが池温泉でゴール。硫黄臭のつよい温泉に入り、池を見て、バスとケーブルカーと電車を乗り継いで富山まで戻り、焼肉を食べて、異様にカラスの多い富山の街を少しだけ歩いて、かがやきに乗って東京に帰った。折立の登山口で人が熊に襲われたというニュースを見て、ひやりとした。

おわり。